2021/4/18「梧棲文化出張所」がオープン
地元の歴史や文化を発信する「梧棲文化出張所」としてオープンするとのことで
4/18(日)の当日、行ってきました。
場所は梧棲老街の媽祖廟、朝元宮のおとなり。
日本時代の1919年(大正8年)に梧棲官史派出所が置かれ、
派出所兼宿舎の建物と3つの宿舎が建設されました。
1935年の新竹・台中大地震の時に、3つの宿舎は倒壊してしまったらしい。
戦後は、1971年に梧棲分駐所(分駐所は派出所とほぼ同じもの)が
移転するまで、警察の施設として使用されていました。
梧棲の有力者で、白色テロの被害者でもある
尤世景氏が拷問を受けたのもここだそうです。
2010年に台中市定古蹟となり、修復が行われ、今に至ります。
不思議な日本語、微妙な装飾などはありますが、ご愛敬。
梧棲の歴史を紹介する展示のほか、カフェも併設されていて、
陶芸作品の展覧会やイベントなどを開催していました。
「民宿」と書いてあるから、宿泊もできるのかな?
梧棲はかつて漁業と交易で栄えた町なのだそうです。
その面影を残す日本時代の建物があちこちに残っていた。
梧棲、台中港の三井アウトレットしか行ったことがなかったけど
ゆっくり街歩きしたら面白そうなところだなあと思いました。
「經典再現―臺府展現存作品特展」@国立台湾美術館
2020年11月28日~2021年4月11まで台中市の国立台湾美術館で
開催されていた「經典再現―臺府展現存作品特展」へ行きました。
会期中、2回足を運びましたが、時間が許せばもっと行きたかった。
日本時代の台湾総督府文教局下の台湾教育会主催で
1927年から1936年まで10回行われた「台湾美術展覧会(台展)」と
その後、台湾総督府主催で1938年から1943年に6回行われた
「台湾総督府美術展覧会(府展)」。
国立台湾美術館は時間と共に姿を消してしまった
これら展覧会の目録の復刻計画と、
出展作品の現存状況の調査を実施したそうです。
台湾近代美術史の貴重な作品を観ることができました。
※去年、台北市の北師美術館で観た「不朽的青春―台灣美術再發現」もよかった。
台展と府展は「東洋画」部門と「西洋画」部門がありました。
戦後「府展」は「台湾省全省美術展覧会(省展)」と名前を変えて1946年から開催。
当初は「国画」、「西洋画」、「彫塑」の3部門で
それまでの「東洋画」は「国画」として扱われました。
その後、国民党政府が「東洋画」=「日本画」であり、
「国画」部門にはふさわしくないとし、
「国画」部門を第一部門(水墨画)と第二部門(東洋画)に分けて、
審査も別に行うようになります。
1972年、日本と中華民国の国交断絶を受けて
突然第二部門(東洋画)は取り消されます。
そこで、日本的なイメージのある「東洋画」に代わって
「膠彩畫」という名称を提唱したのが台中出身の画家、林之助です。
1982年、第二部門は「膠彩畫」部門と名称を変えて復活します。
と、以前訪れた台中市西区にある「林之助記念館」で紹介されていました。
省展は2006年を最後に終了、現在はその後を
「全国美術展」と「台湾ビエンナーレ」が受け継いでいます。
で、今回の「經典再現―臺府展現存作品特展」。
すごいなあと思ったのは郭雪湖。
中元節の大稻埕を描いた「南街殷賑」が有名ですよね。
こちらが第5回台展東洋画部門で台展賞を受賞した「新霽(芝山岩)」。
こちらが第7回台展東洋画部門で入賞した「寂境」。
ともかく圧倒されて見入ってしまう。同じ人が描いたとは思えない。
(素人なのでこんな感想です)
あとはこちら。
蔡雲嚴の「我的日子―男孩節」(第6回府展東洋画部門入選)と、
陳碧女の「望山」(第6回府展西洋画部門入選)。
見えにくいですが、両方とも日本の国旗が
国民党の青天白日滿地紅旗に描き替えられています。
最後の第6回府展が開催されたのは1943年。
政府主催の展覧会では、やはりその時代に合った要素を
盛り込まなければならなかったのでしょうか。
さらにまた時代が激しく変化する中で、描き上げた作品に
自ら手を入れなければならなかったということですよね。
あとは、陳澄波の作品は個人収蔵のものが多かったように思いました。
去年オープンした嘉義市立美術館も行きたいなあ。
国立台湾美術館は、いつも気になる展覧会をやっている。
しかも無料で素晴らしい。ありがたい。
また行かなければ。
台中は給水制限スタート。
現在、台湾は深刻な水不足。
台中と苗栗では今週から給水制限が始まりました。
台中市は2エリアに分けて、週2日づつ断水します。
今のところ、断水中も普通に水が出る。
台湾は建物の屋上に水のタンクがあって、そこから水を使うのですが
うちはマンションだから、タンクが大きいのかもしれない。
でも節水のために、貯めておいた水を使っている。
30リットルのタンクを買ってしまったものだから
いざ水を使おうとすると重くて重くて動かしにくい。
今度があるならば、今度はもっと少ない容量のタンクを多めに買おう…
いつまで続くか、給水制限。
ともかく雨が降らないとどうしようもない。
先月、大甲の鎮瀾宮(有名な媽祖廟)で
雨乞いの儀式していたなあ。
あ、今日から鎮瀾宮は媽祖様の繞境(巡行)だ。
一度は見に行ってみたいな~と思いながらまだ。
繞境に参加もしてみたいけれど、
大甲から北港ってめちゃくちゃ遠い。
(以下画像をご参照)
でも移動距離は白沙屯拱天宮のほうが長いらしい。
あちらはルートが決まってないからかな。
どちらかというと、白沙屯のほうに参加してみたい。
媽祖様にお伺いしながら進むというのが面白い。
2007年公開の台湾映画『練習曲』は、わたしが台湾に来るきっかけにも
なったのですが、あの映画にも媽祖様の繞境が出てくる。
撮影したのは白沙屯の媽祖様のほうらしいのでそれも理由のひとつ。
まずは今日からの鎮瀾宮の繞境が無事に終わりますように。
あと雨も降ってくれますように。
(画像はFacebook「漾台中」から)
帰省は完全アウェー。
今日まで台湾は清明節連休です。
わたしは台湾人夫の実家に帰省中。
今回は思うことをとりとめなく書きます。
たぶん誰でも、義理実家への帰省は
そんなに楽しいものではないですよね。
わたしの場合、とくにストレスを感じるのは言葉と衛生面でしょうか。
夫の実家はほぼ100%台湾語なので、ほぼ理解できません。
わたしに話しかける時は中国語を使ってくれるけど。
ニーハオって挨拶しただけで、まだ台湾語しゃべれないのか!って
キレる近所のおばあちゃんとかいました。
まあわたしもぼちぼち覚えようとはしています、台湾語。
衛生面はもっと理解できない。申し訳ないですが。
義理家族はみんないい人たちなんですけど、
衛生面だけはワイルドすぎて非常に受け入れがたく。
義理実家は1週間もいると限界。
義理家族も親戚も、本当にいい人たちです(ここは強調)。
そういえば、日本人の奥さんが日本に帰省する時に、
義理家族や親戚からあれこれ買い物を頼まれるとか聞きますが
そういうことが1回もない。
というか親戚のお姉さんなんて、わたしよりも頻繁に
日本に行って豪遊してるから、必要ないのかもしれない。
あ、あとは子供のことでしょうか。
直接義父母から何か言われたことはないけれど
きっと大変残念に思っているだろうとは思う。
結婚してまもなく10年。
今となっては、春節休みに突然やってきた初対面の誰だか分からない
遠い遠い親戚のおばさんとかが、ああしろこうしろと言ってくるくらい。
そういうのはニコニコしながら「そうですね~」ってスルー。
ああいう人には絶対にならないようにしよう、といつも思う。
ということで、
外国人ということでアウェー、
台湾語が分からずアウェー、
子供がいないのでアウェー、
とアウェー感を痛いほど感じるので帰省は苦手。
夫の故郷や義理家族は好きです(再度強調)。
とくに義母は本当にいい人。
めったに冗談とか言わない人なんだけど、以前カエルの肉を
「鶏肉だよ」とすすめてきて、夫にそれはカエルだよ!と
バラされて嬉しそうにしていた(これは嫁いじめか?)。
義母はぶっきらぼうだけど、ハートが温かい人だと感じます。
以前、親戚のお嫁さんに「おしゅうとめさんはよくしてくれる?」と聞かれて
はい、と答えたら
「だって台湾語分からないもんね(=何を言われていても分からないもんね)」
と言われたことがあった。
わたしが台湾語できないことをバカにされるのはしょうがないとして
(いやこれも腹立つが)、義母がいじわるするような人だと
言われたってことだから、何か言い返せばよかった、とたまに思い出す。
「じゃあ、あなたのおしゅうとめさんはよくしてくれないんですね~かわいそう~」
とか言ってやればよかった(言わなくてよかったけど)。
と、今日は本当にとりとめもなく書きました。
とりとめない内容なので、とりとめなく写真を貼ります。
義理実家から近所のセブンイレブンに行って
束の間の自由を堪能するのがひそかな息抜き。
すっかり「國民姊夫(国民のお義兄さん)」ですね。
台中日記2回目で、いきなり高雄。
4月2日から5日まで、台湾は清明節連休。
清明(4/4)にお墓掃除をします。
沖縄でもこの時期にお墓参りをするそうですね。
うちは台湾人夫の実家が南部なので南部に帰省します。
高雄MRTの美麗島駅。
の、近くの老江紅茶牛奶で朝ご飯。
最近おしゃれになって支店も増えた。
蛋餅って前もあったっけ?
蛋餅が美味しかったので、
よもやの續攤(ソァートァー=台湾語で二次会的なこと)。
食べ過ぎてしまい、高鉄・左営駅のMovenpick Cafeで休憩。
コーヒー、ずいぶんギリギリまで入ってるなー。
こんなことをしていたところで、台鉄の事故のニュースを知る。
少しでも早く救出が進んで、できるだけ多くの人が助かりますように。
ブログをはじめた理由。
昨日、再診の予約をしてあったので
あれこれとやることを片付けてバスに飛び乗り、
台鉄・台中駅近くの病院へ向かいました。
いざ病院で予約票を見てみると、日付は一週間前。
どうしたんだろう自分…
時間ができてしまったので、台中駅周辺をうろうろする。
駅には去年12月「鐵鹿大街」というショッピング&レストランエリアができました。
そこにある「TIKIYALO」でご飯を食べることにする。
もともとは駅裏にあった「復興咖啡交易所」という香港系カフェ。
TIKIYALO=「鐵枝仔路」は、台湾語で「鉄道」のこと。
澳門乾式免治豬肉飯と絲襪奶茶のセット。220元。
これ好きなんです。
ご飯の後、駅裏の天外天劇場の跡地を見に行く。
完全に更地。
天外天劇場は日本時代の1936年、地元の名士・吳子瑜が建てた劇場で
日本人技師の斎藤辰二郎が設計を手掛けたそうです。
保存か否かで長年紆余曲折あったそうですが、
政府が暫定古蹟指定を取り消して今年2月に取り壊されました。
それはそれは豪華な劇場だったそうで、
以前参加した台中の歴史ガイドツアーでお話を聞いて以来、
いつか内部を見てみたいと思っていたから、本当に残念。
駅に戻って、そういえばと思い出し、
台鉄のパイナップル応援弁当「夏威夷便當」を買いに行く。
台北駅と台中駅で限定販売しているらしい。
台湾パイナップル、日本でも人気になっているみたいですね。
美味しいもんね。でも夏のほうがもっと美味しいよ。
お弁当はこんな感じでした。
ということで、ブログをはじめた理由は、
「忘れっぽくなったのであれこれ記録しておきたいから」でした。
病院の再診日を間違えるなんて、生まれて初めてでショック。
せっかく参加したガイドツアーとか、読んだ本とか、観た映画とか、
アウトプットしないと「面白かった~」で終わって忘れてしまう。
そんなわたしは台湾・台中市に住む日本人です。
これからキラキラしてない日常生活を記録していきます。
どうぞよろしくお願いします。